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FEATURES2023.02.02

地域医療の形を変える?レセプトデータ分析が可能にする未来|黒田直明

 

 

 

つくば市では、地域の方々が住み慣れた場所で、その人らしい生活を継続することができるように地域包括ケアシステムの構築に取り組んでいる(※1)。これをさらにきめ細かいものにするため欠かせないのがレセプトデータ分析だ。しかし全国1700を越える市町村のうち、レセプトデータの分析に取り組んでいるところはごくわずか。レセプト情報を扱うには、疫学統計や医学の知識、大規模データをハンドリングする解析経験が必要となり、それを満たせる条件を持つ自治体が少ないのだ。

 

そんな中でつくば市では2019年から市役所内で独自のデータ分析すると共に、医療介護サービス評価の草分け的存在である筑波大学のヘルスサービスリサーチ研究所と覚書と交わし、共同で取り組むことでレセプト分析を可能にした。

 

レセプトデータとは? レセプトデータ分析から約4年で、見えてきたものとは? 市と大学との架け橋となり事業を進めるつくば市保健部参事(※肩書きは2022年12月当時)に話を聞いた。

 

 

【地域医療の形を変える?レセプトデータとは?】

『レセプトデータ』聞き馴染みのない言葉かもしれませんが、レセプトデータそのものは、誰もが見たことがあるはずです。病院で診察を受けた際、会計時に領収書を渡されますよね。そこ書かれた診療内容や点数は、レセプトデータの一部なんです。例えば1点と記載されているのは10円を意味しますし、300点だと合計3000円となります。レジで支払うのは、そのうちの数割(通常なら3割)。残り(通常7割)は、医療機関がレセプトデータを請求書として国保連合会などの審査機関に提出し、審査機関で診療内容に不適正がないかなどの審査を受けた後に支払われる仕組みになっています。

レセプトデータ単独ではただの請求書としての役割しか持たないのですが、これが膨大に集まることで保健医療行政の視点からは、貴重な情報が詰まった宝庫になるんです。まず、ある人が、いつ、どのような病名で、どのような検査や治療を受けたか、同時にどんな病気を併発していたか、という情報を取り出すことができます。そして同じような症状の複数の人たちを長期的に見て分析すると、リアルワールドにおいてどのような医療や介護が行われているのかを可視化したり、さらにはどのような人にどんな治療が良さそうかを推測できたり・・など多くのことがわかる、いわゆるビッグデータとなるのです。その分析により、医療の質をあげ、より適切に実施するための方策を提案することができます。それが医療費削減にもつながる可能性があるのです。今、国を挙げてこのレセプトデータを分析し活用する取組が行われています。(レセプトデータ分析の際は、すべてのデータは匿名化されて行われます。)

 

 

 

【その人らしい生活を継続してもらうために・・市町村だからこそできること】

国全体では、レセプトデータがデータベース化されていますが、データを市町村で利用するためには申請要件が厳しく、また利用許可されるまでに年単位の時間と高額の費用が掛かります。

しかし地域ごとに保健医療の現状は異なります。つくば市では、多くの方が「介護が必要になっても自宅で生活することを希望」しており、地域の方々が住み慣れた場所で、その人らしい生活を継続することができるように地域包括ケアシステムの構築に取り組んでいます。ここに医療や介護のレセプトデータの分析が加わることで、さらにきめ細やかな事業を行うことができるのです。そのため、つくば市ではスピードと小回り、コストの縮小を可能にする独自の分析を行っているのです。

 

保健医療サービスのあり方は国が大きな方針を決め、さらに都道府県が医療計画を定めます。しかし、介護サービスや生活支援などは地域ごとの地理的特性や住民の考えに応じ、市町村が中心となってデザインする必要があります。つくば市では、多くの方が『介護が必要になっても自宅で生活する」ことを希望されているので、『地域包括ケアシステムの構築』に力を入れています。これは、地域の方々が住み慣れた場所で、その人らしい生活を継続することができるようにするものです。まずこの分野に市町村単位での医療や介護のレセプトデータの分析を活用できるのではと考えました。

レセプトデータは、国全体のデータベースが作られ始めていますが、市町村や研究者がそれを利用するためには申請要件が厳しく、また利用許可されるまでに年単位の時間と高額の費用が掛かります。そのため、つくば市ではスピードと小回り、コストの縮小を可能にする独自の分析を確立したのです。しかし、市役所内で私が行えることには限りがあるので、つくば市の事業に役立つことと、研究として世界に発信できることとを両立させ、筑波大学での研究活動と連動させることを大事にしています。

 

 

【4年に渡る分析から見えてきたこと】

ひとつは、ある薬を飲み続けると、要介護となるリスクが高まる可能性があることを検証したことです。

レセプトデータと、つくば市の介護保険課が持つ要介護認定者のデータを照らし合わせた、まさに市町村だからこそできた分析でした。レセプトデータを管理しているのは保健部の国民健康保険課。一方で介護に関するデータを管理しているのは介護保険課。このように様々なデータが複数の課に分かれて管理されていると、その把握も簡単には進みません。多くのディスカッションを重ねながら、データを掘り起こし分析していきました

 

データ分析で何かわかったとしても、全く新しい事業を一から開始することは容易にはできません。そこでデータ分析の活用方法として、行政がすでに取り組んでいるが解決に至っていない課題に絞ることにしました。また市民の人にわかりやすく、医療費の削減にもなりそうなもの、そして医師だけでなく職種で協力して解決すべき課題。このような条件を満たす分析として、『高齢者への不適切な薬剤処方の軽減を促す研究』がよいだろうと考えました。病院の患者さんでの研究はされていましたが、不適切な薬剤処方が地域全体の要介護認定に及ぼす影響の研究は世界的にも例がなかったからです。医療レセプトデータと要介護認定者のデータを照らし合わせた、まさに市町村だからこそできた分析でした。レセプトデータを管理しているのは保健部の国民健康保険課。一方で介護に関するデータを管理しているのは介護保険課。このようにデータが複数の課に分かれて管理されていると、その把握も簡単には進みません。多くのディスカッションを重ねながら、データを掘り起こし、筑波大の専門の先生にも相談して分析していきました。


 

65歳以上ではじめて要介護認定者となった2000人以上の方のレセプトデータから、認定前の2年間に処方された薬剤をすべて分析。そして要介護認定を受けなかった同年齢の40000人以上のデータと比べました。すると、高齢者への使用をできるだけ避けたほうがよいとされる薬剤の服用量が多いほど要介護認定者となる確率(リスク)が実際に高いことが分かったのです。この結果については、さらなる検証も必要ですが、リアルワールで地域住民全体を対象とした研究としてとても価値あるものだと思います。

詳しい論文はこちらから⇒

『鎮静・抗コリン作用薬剤の処方が多いほど要介護認定リスクが高まる~つくば市の医療介護レセプトデータを解析~』 


 

 

 

医療介護サービスでは、高齢者ご本人の幸福度を高めることを目指していますが、なかでも入院せずに在宅で療養したい人を専門に診療する在宅医療が受けやすい環境を整えていくことが重要です。それを実現する『地域包括ケアシステム』では、医師や看護師、介護士、薬剤師、ケアマネージャー、リハビリ専門職などたくさんの方々が連携しなければなりません。それら介護する人の負担を減らすことも必要になってきます。研究例の2つ目は、限りある在宅医療サービスを有効かつ持続的に提供できる環境づくりを目指した研究です。在宅医療に実際に携わる現場医師ならではの視点が入っています。

(※連携している筑波大学の研究者(在宅医療を専門とする総合診療医)による研究)

 


在宅医療において予定外や夜間の診療は医師にとっても負担です。その結果、在宅医療を提供する医師が増えにくい現状があります。しかし、どのようなケースで頻繁な緊急往診の可能性があるか事前にわかれば的確な役割分担ができ、より多くの医師で地域の在宅医療を分担することができるかもしれません。この研究では、新たに訪問診療を開始した65歳以上の要介護認定を受けている5000人のレセプトデータを追跡調査したところ、在宅酸素療法をしているかどうか、要介護度の程度、悪性腫瘍があるかどうか、この3つが頻繁往診の因子となっていることがわかりました。この3つの因子からスコア算出方法を開発し、どの患者が頻繁往診のリスクがあるか予測できます。

詳しい論文はこちらから⇒

『在宅医療患者の頻回往診を予測するリスクスコア開発~高齢者の医療介護レセプトデータを活用~』 

 


 

 

 

 

【たくさんのわらじを履くのが大事!と考える理由とは?】

市役所での肩書は保健部の参事(肩書きは2022年12月取材当時)ですが、その他にも精神科医として地域の皆さんのメンタルヘルスの困りごとに対応していますし、筑波大学のヘルスサービス開発研究センターに所属して研究活動もしています。複数の立場を持つことで外部の目線を持って物事を見られます。そもそも医療というのは、生物学的・心理学的理解、社会や制度から見た理解など、様々な視点を切り替えていくことが大切なので、たくさんのわらじが役に立つと感じています。

 

私は神戸生まれで、高校3年生の時に阪神大震災で被災しました。その時に度々ボランティアとして避難所を訪れました。そこには全国から様々な背景の人が集まってきていて、年齢を超えて得意なことを生かして目の前の課題解決に向けて知恵を絞っていました。病院から出て外で仕事をするときにこのときの経験をよく思い出します。筑波大学医学部を卒業し、医師免許取得後は、医学と心理学の境界にある精神医学を専門に決め、“研修医”と“博士課程の学生”という、ここでも2足のわらじでやっていました。研究テーマは精神疾患の症状の国際比較をする『比較文化精神医学』で、精神科の薬を飲むということに対する期待や不安を日本と中国の患者さんに調査をしました。

 

調査では、日本の患者さんは、医者に飲むように言われた薬をきちんと飲むことが多いのに対して、中国では「なんのための薬なのか」「いくらなのか?」など様々な疑問を医師に投げかけるものだとききました。日本は皆保険性なので、お金を払って薬を買っているという意識が少ないのかもしれません。

 

でも医療を受ける側ももっと貪欲になってもよいのではないでしょうか?この治療を受けることで自分はどうなれるのか?数ある治療法のなかで自分は何を重視して、どの治療を選択するのか。治療法の決定に患者さんは積極的に参加して欲しいですし、価値観を言葉にするための援助や選択肢をわかりやすく説明できるデータも医療者側は準備していく必要があります。

 

医療レセプトのデータ分析に関わるようになった理由のひとつとして、医学的な研究やガイドラインで推奨されていることと現実の現場のギャップをきちんと訴えたかったということがあります。研究者は、研究からわかったことを論文として蓄積していきますが、現場に活用されないことの方が多いのです。効果がある治療法があっても現場では時間も人員も限界で実施できなかったり、実施できそうでも現場の人は研究結果よりは別の基準で方針を決めることになっていたり。行政では後者が多いように思えました。研究と現場の橋渡しの役割をする人・活用されないデータを翻訳する人が必要だと感じていました。ちょうどその頃につくば市の募集があり、2019年4月から参加することになったのです。

 

 

 

 

【レセプトデータ分析で叶えたい未来像・・】

医療サービスの最終目標はその人らしい満足した生活が営めることですので、ご本人目線の評価が大切です。しかし、レセプトデータには幸福度や生活満足度など本人に質問しないとわからない情報は一切含まれていません。病院から退院できたことは分かっても退院後に生活で困っておられることがないかはわからないのです。一方で、市役所では健康や生活の困りごとを調べる市民アンケートを定期的に実施しています。この事業計画の基礎資料として行われている市民アンケートを、医療介護レセプトデータと合わせて分析することで、医療介護サービスの提供がご本人の生活状況や幸福度にどのように寄与しているのかを検証できます実際、昨年末に実施した高齢者福祉計画のアンケート調査では、同意下さった方については医療介護レセプトデータと合わせて分析することを高齢者福祉推進会議で了承をいただきました。このような生活に密着した細やかな分析は市町村こそがやるべきことです。

 

もう一点は、私の医師としての専門であるメンタルヘルス分野でも分析の経験を応用していきたいと思っています。精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築という施策の実現に向けて、医療、福祉、介護などの多分野の支援者そして当事者の方が価値観を共有し、連携していく道のりをデータで見通しをつけていきたいです。

 

医療や介護の分野に関わるのは、市役所内では、健康増進課、地域包括支援課、介護保険課、国民健康保険課など市役所内でも多くの課にまたがり、現場では、さらに多くの分野のたくさんの人の力で回っています。その連携を深め、より市民の方々の幸福度を上げることができるよう、レセプトデータの分析を通じてできることまだまだあると思います。そこを目指して進んでいきたいと思っています。

 

 

(※1)つくば市では、地域包括ケアシステム構築の取組みの一つとして、高齢者の方々が住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、在宅医療と介護サービスを一体的に提供するために、医療機関と介護サービス事業者などの関係者の連携を推進しています。

つくば市在宅医療・介護連携推進事業

 

 

 

 

 

黒田 直明 プロフィール

 

つくば市 保健部参事(取材当時) 

2001年筑波大学医学専門学群卒。筑波大学社会精神保健学教室及び精神科病院にて精神医療を研鑽。2015年、米国Johns Hopkins大学大学院に留学。地域に根差した協働的な研究活動に触れる。2016年に帰国後は、ヘルスサービス開発研究センターで医療介護レセプトを用いた研究に従事。2019年4月からつくば市保健福祉部に勤務し、行政・研究者・臨床医の観点から本当に役立てられるデータ活用に取り組んでいる。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所地域精神保健・法制度研究部制度運用研究室長に異動(2023年1月~)した現在もつくば市保健部顧問として市職員と毎週机を並べる。精神科専門医・指導医、社会医学系専門医・指導医、博士(医学)、公衆衛生学修士。

 

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